o-moro 「オモロい」を、あなたのとなりに。

エストニアの首都で川崎燎さんに出会う

2018/08/15 by Yutaka Shiomi

1973〜76年の間Gil Evans Orchestraに在籍したギタリストで、18年間エストニアにお住いの川崎燎さんとタリンにてお会いしてきました。

僕のルーツはGil Evans Orchestraなのです。

思い起こせば中学2年、松田 康成から聞いた深夜ラジオの面白さから興味を持って、毎週のように深夜ラジオを聴いていた頃。
深夜4時を過ぎて、TOKYO FMがCMがわりに流していたのが”Gone”と”Prelude to Stone Free”。

めちゃくちゃかっこいいなと思って、でも何の曲かわからないまま青山学院大学に入り、Royal Sounds Jazz Orchestraが新勧演奏していたGoneに偶然出会って、

ベースがやりたくて衝動的に入部して、厚木で最終時限まで授業があったので初回練習に行ったらすでにベース希望者が8人いて、「貸せる楽器がないんだけど他に出来る楽器ある?」と先輩聞かれて高校2年から触っていたギターを伝えたら、そのままギターになり、

新歓コンパで衝撃的に潰れ、先輩に最初に辞めると思われつつも必死でしがみつき、なんとか4年間弾き続けて、

広告の仕事をしていた時に北欧のデザインに出会い、偶然の出会いと縁、恩に恵まれてフィンランドの仕事を始めて、

やはり出会いと縁、恩に恵まれてエストニアの地に降り立ち、

そして今日、川崎さんと出会えた。

自分が必死ですり切れるほどに聴いてコピーして、時代を捧げた音楽の、その本物のバンドで、自分が弾いていた楽器をまさに弾いていたご本人。

There Comes A Timeを、King Porter Stompを、Little Wingを、Voodoo Chileを、Crosstown Trafficを弾いていたご本人。

中学2年のときの伏線が、23年の月日を経て、あらゆる偶然と、縁と、運と、恩に恵まれて回収された瞬間。

今日お会いした瞬間は、人生において最も震えた瞬間のひとつ。
緊張しすぎて、何を話していいか分かりませんでした。

4時にお会いして、ご飯をご馳走になり、タリンを案内していただき、馴染みのバーに連れていっていただいて、気がつけば6時間。

川崎さんのこれまでと現在、ルーツのお話、音楽業界のお話、ニューヨークやエストニアのお話、Gil Evans Orchestraのお話、Gil自身の人となりのお話、など、など、など、など…話は尽きず。

いま川崎さんがエストニアのジャズミュージシャンと共に進めている”Level 8″。

その由来は、川崎さんにとって今が、これまで日本〜ニューヨーク〜タリン時代を経て起きた大きな人生の転換の、8回目のステージだからなのだそうです。

その点では、いま僕はLevel何なんだろう。

ネイティブアメリカンの、
「今日は死ぬのにもってこいの日」
という死生観にまつわる言葉がありますが、今日はまさにそんな日なのかもしれない。

でも、川崎さんの半分ちょっとしか生きていない僕は、今日新たにレベルが上がったのだと思って、先に進み続けます。

今回の、そしてこれまでの出会いを、縁を、恩を、偶然と必然を、次にどう繋げ、どんな新しい、素晴らしいことを起こせるか。

躊躇するな。タイミングを逃すな。

本当に素晴らしい出会いでした。心から、ありがとうございます。

川崎さんはタリンに18年住んで、未だに飽きることがないそうです。

素敵なこの街、もっと掘り下げて知っていく必要がありそうです。

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代表:シオミユタカ

“o-moro”という名前は、フィンランド語の気軽な挨拶 “Moro!” と、「オモロい」の二つの意味。
“Moro!”と友だちに挨拶するような気軽さで、みなさまと触れ合えたらという想いで、

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をメインに、横浜の中心部、関内を拠点に活動、日々の業務に取り組んでいます。

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